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2006年9月

「純情きらり」とセカチュウ

NHKの朝ドラ「純情きらり」が今日で最終回だった。現在フリーランスの私はほぼ毎回見ていて、結構朝から泣かされることが多かった。最終回での主人公の死は「まさか」、あるいは「やっぱり」というところだが、なぜかさわやかな後味だった。若い死であっても、ひたむきに生きたその生が、残された人びとのなかに生き続けるということが素直に伝わってきた。

一方セカチューはしばらく前に大ヒットした「世界の中心で、愛をさけぶ」。原作から映画、ドラマにもなり、1つの市場を作っていたとさえいえる。こちらのほうは平凡な人間の人生がある日突然迫ってくる「死」に直面して変わっていく。それが周りの人を巻き込んでドラマが作られていく。いわば死によって条件付けられた物語と言って良いと思う。そういう意味では「僕の生きる道」というテレビドラマなども同じ部類に入るが、これらもいわば「死」がテーマになっているのだと思う。

別のサイトでも書いたのだが、

恋人の死などをストーリーのなかに配置すると、そこから自ずから決まってきてしまう要素があり、泣かせどころなどももってきやすいということがあるのではないか。そこでは「人の死」が一つの装置になっている。

これらのドラマでは「死」に直面したときに見せる人間のありかたの個性を描いているものの、「死」がテーマになっていることは否めないと思う。あえて言えば、現在の日本でこのようなテーマのドラマが多くなっているとしたら、それは「生」の内容がそれだけ薄くなっていることの表れではないか、と思えるのである。
さて、「純情きらり」にもどる。
「純情きらり」において主人公の死は必然的だったのだろうが、死ななかったとしてもドラマとして成り立っていたようにも思われる(矛盾している言い方だが)。脚本の浅野 妙子さんはどこかで「平凡な1人の女性の人生として描きたかった」というようなことを言っておられたが、その死も若い死とはいえ特別なものではなく、最終回の死によって、主人公の人生が客観的に見つめられるようになっている、という気がする。

(表題とはずれてきてしまうのだが・・・)

当たり前のようだが、人の死は特別なものでない死であったらよいと思う。そんなことはそれこそ運命として決まってしまうのだが、死によって条件づけられた生よりも、生の延長としての死であればいい、と思う。
それは特別な時代、戦争の時代であっては許されないことのようでもあるが、靖国神社に祀られた人の死はいやがおうにも、死に条件づけられた生というものを全面にださせてしまう。彼らの人生においても生の延長としての死はあったにちがいないのだ。

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御用(誤用)言語学者の造語解題①

既得権益
新自由主義的「構造改革」推進用の造語。すがりつく醜い者という雰囲気を醸し出し、古い自民党のイメージともだぶらせているが、国民の安全や弱者への配慮などのために積み上げられてきた仕組みを厄介者として弱肉強食の市場にさらす効果をもつ。

自虐史観
自虐的という生理的嫌悪感を持たせる用語を用いて、310万の日本国民と2000万とも言われるアジアの人々の犠牲をはらった、戦後日本のよってたつ原点としての認識にたいして着せようとたくらむ破壊的(テロ)造語。

美しい国(へ)
安倍晋三氏の政治パンフレットの名称。「自虐史観」と対比させたイメージを作り出すとともに、国家主義的な「誇り」の意識を教育への統制によって植え付けようとする政権の重点政策を意識したスローガンともなっている。

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朝日新聞の姿勢を象徴する9/17社説

9月17日の朝日新聞の社説は、

  • 靖国批判 米国からの問いかけ
  • 竹中氏降板 改革の成果と限界と

の二本立てだった。靖国批判の方は、米下院の外交委員会で靖国神社の軍事博物館遊就館の戦争観を批判し、A級戦犯を合祀した靖国神社を首相が参拝したことを批判する発言があったことを報じている。小泉首相が靖国参拝を批判するのは中国と韓国だけだと言い続けてきたが、それは政府の公式発言に限ったことであることを指摘し、今回の米国からの批判について、

「内政干渉」と退けるのは筋違いだろう。彼らが問題にしているのは、彼らも戦い、あるいは巻き込まれた戦争についての歴史認識だからだ。

と書き、「日米同盟の原点」である自由と民主主義を掲げるならきちんと受け止めるべきだとしている。「日米同盟の原点」はともかくとして、もっともな批判だと思う。

これに対して竹中氏降板の方では、竹中氏を郵政民営化や不良債権処理を仕上げ、「並の政治家では太刀打ちできない豪腕ぶりだった」と持ち上げている。改革の限界としては残された問題と「副作用」としての格差問題だという。
ここには一貫して郵政民営化を支持し、構造改革を基本的には支持してきた朝日新聞の姿勢がよく現れている。規制緩和の結果として噴出してきた様々な問題、耐震偽装問題、ライブドア・村上ファンド問題、雇用の状態の悪化などはあくまでも「副作用」とし、「小さな政府」、「規制緩和」自体は正しい方向だという立場を堅持している。

しかし首相の諮問機関の規制改革・民間開放推進会議の中心になって規制緩和をすすめてきたオリックスの宮内会長が村上ファンドに大金を投資していたり、オリックスが規制緩和で生まれるビジネスを先回りして作り出していること、雇用に関する規制緩和で大企業がリストラ・合併をしやすくして、利益を拡大していること、あるいは、保険に強いアメリカ資本が郵政民営化で日本への進出を有利にするなど、この間日本社会を大きく変貌させてきたものは「構造改革」がやはりそれで利益を得る人々からの要求で行われてきたととらえなければ説明がつかないのではないだろうか。

社説は「竹中氏の退場は、しょせんは既得権に安住」する「自民党政治の限界も示している」と締めくくっているが、「既得権」など構造改革推進用語を使ってさらなる「構造改革」を促すこの社説は、靖国問題などでは右翼的潮流に流されないスタンスを持ちながら、「構造改革」などの基本的な経済問題では本質を見られない、朝日新聞の限界をこそ示しているというべきだ。

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「悠仁さま」にどうしても違和感

連日「紀子さまご出産」の報道に沸いているこのごろだが、「悠仁さま」という言葉が出てくるたびに違和感を感じてしまう。それは普通なら赤ちゃんは「~ちゃん」と呼ばれて可愛いがられるからだ。
もっとも皇族だからといって「さま」で呼ばれなければならないという決まりはないのだから、それはあくまでもマスコミが醸し出している特別なものなのだが。そして沿道などで熱狂的に声援を送っているご婦人などが映し出される。あるいは同じ日に生まれたことで喜んでいるお母さんなどが映し出される。彼女らはやはり自分に可愛い子供が生まれてうれしい、といった気持ちと「ご出産」の報道を重ね合わせているのだろうが、「無事に生まれてよかった」とか「可愛いお子さん」という感情にふさわしいのはやはり「~ちゃん」だと思う。アナウンサーが彼は「特別な教育を受けられ・・・」と平然と今後のことを解説するが、私などはそれを聞いて「ああ、自分の人生をきめることもできないんだなあ」と考えてしまう。紀子さんにしても、この間どんなにプレッシャーを受けて苦しんだことだろう。少なくない国民がこのような報道に違和感を感じないのは、おそらく国民に多く露出しているマスコミには決してこの言い方に反するようなものは出てこないからなのではないだろうか。私にとってはこの特別扱いは今の日本に生きる人間として不自然だ。

少し前になるが、9月9日の朝日新聞のオピニオン欄に船曳建夫という大学教授が「天皇制 廃止論議に耐えられるか」という文章を書いていた。この中で船曳氏は、

天皇制は日本の中で、養子を認める「イエ制度」とは一線を画し、どんなに血が薄くても、男系の天皇を作るという特別な制度を守り続けてきた。
しかし、自由と平等の価値観が浸透する中、それを支えた側室がなくなり、宮家の数も減らされてきた。民主主義との矛盾を覚悟でやってきた結果、「後継者がいなくなる」という、予想された危機を招いたといえる。

と述べている。

一方安倍晋三氏は「美しい国へ」の中で、

日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリーだ・・・日本の国柄を表す根幹が天皇制である。

と書いているが、日本の歴史は皇室の歴史ではないのだから、天皇がどこに住んでいるかわからない人がほとんどだった時代もあった日本の歴史において、その国の伝統という場合に、「特別な制度」を守り抜いている特別な家系(万世一系というのも疑わしいが)を国柄の根幹にするというのはおかしいと思う。
そして船曳氏が言うように「後継者がいなくなる」ことが宿命となっている今、皇室は普通の家が後継者を残せないと悩むのとは桁違いの苦しみの多い時代を迎えようとしている。政治にしても国民にしてももう少し想像力を働かせてもいいのではないか。

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秩父困民党散華の地から

Titibu

先日信州小海線の馬流駅の近くにある秩父困民党散華の地の碑を訪ねた。以前から行きたいと思っていたので、ようやく思いが果たせた。秩父事件といえばその決起から壊滅までわずか数日という短い期間の反乱であったし、秩父という限られた地域のものという印象を与えてしまうが、この碑の存在は秩父で火がついたたたかいが、全国の"困民"の運動とつながっていたことを象徴しているように思う。秩父事件はこの地(実際は野辺山高原まで行っている)で壊滅してしまったが、そこで日本人民がたどり着いたものは今日の日本に受け継がなければならないのではないか、という思いがあった。このブログではそうした視野を持ちつつ、日々思索し、感動したことを記していきたい。なお、このブログは私の別のサイトの分身である。

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