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2006年10月

石弘光氏の不可解な発言

Isi
「経済成長ですべてが解決でされるというような話は無責任だ。所得税の最高税率の引き上げを含めた見直しや証券税制の優遇措置廃止なども議論する必要がある。」、「法人税減税を通じた自然増収への過大な期待は禁物だ。」
これらはあの政府税調会長をつとめた石弘光氏の発言なのだから驚きだ。
朝日新聞22日付けの経済面でのインタビューで語っているのだが、まさにここで言っていることの逆をいっていたのが政府税調であり、石氏の過去の発言であったからだ。
安倍政権になって退任し、これまでいえなかったことを言っているのか、あるいはこのようなことを個人的に言い始めたために解任させられたのか、いろいろと想像してみるがわからない。
そういえばアメリカ大統領なども大統領をやめるとそれまでのアメリカの外交政策などを批判したりすることがあるが、それと似たようなところがあるのだろうか。
そういえば石氏はこれまで国民には冷たいことを言っていたが、写真を見ると「よいお父さん」、あるいは「よいおじいさん」という感じの柔和な顔をしている。しかし逆もまた真なりだ。

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「感情増幅の時代」のテレビの恐さ

2、3日前、何気なくテレビをつけたら、めがねをかけた細身のアナウンサーが目に涙をため、いじめで中2のこどもが自殺したことについてしゃべっていて、「まったく戦後の教育は壊れてますよね、このまえも渡辺美樹さんとはなしていたんですが・・・」といい、どうやらその話を教育再生会議への期待へともっていくふうであった。お昼のワイドショーであったようで、スタジオには女性客が多く参加していて、その雰囲気にのまれているようだった。

教育再生会議といえば最近安倍内閣のもとで作られたもので、いろいろな人が参加しているようではあるが、基本的には本内閣が最重要課題とする教育改革を推進するためのものである。今の教育が多くの問題を抱えているのはたしかだが、それらの問題を教育基本法「改正」、さらなる競争、市場原理の導入などで解決できるのか、していくべきなのかは大いに議論のあるべきところだ。私自身は教育を巡る問題を「戦後の教育が悪かった」という方向に持って行くところに現在の教育論議の危険性があると思っている。

しかしここで問題にしたいのは先のアナウンサーの激高ぶりなのである。
新聞はあくまでも論理で語るものであり記事を掘り下げることができ、インターネットは匿名性を利用して新聞では書けないようなことを流すこともでき、また速報性は抜群だ。それに対して、テレビはスピード感のある映像をいくつも流したり、表情、涙などの表現によって他のメディアにはない表現力を伴った主張をすることができる点で際だっている。このことは実は自分で考えたというより、少し前になるが10/2の朝日新聞に写真家、作家である藤原新也氏が「群れなす感情増幅の時代」という表題で書いておられたことを思い出していたのである。
藤原氏は自分を取材した番組を後で見て、
私が現場でしゃべったことよりもっと良いことを話したように聞こえている・・・紙媒体とは異なるさまざまな増幅装置が機能しているからだ。
と述べ、今のテレビがテロップ、サブ画面のタレントの表情、インタビューアのリアクションなどによってそれらの「増幅効果」を高めていることを説明する。そして、
このTVメディアの送り出す情報や感情の増幅化現象はここ5、6年、エスカレートの一途をたどっているように思える。わたしは、それは視聴率競争のみならず、環境と身体の変質が背景にあるのではないかと思っている。その環境とは95年以降、「ネット」という新たな情報源が生まれたことに伴う情報の重層化と倍速化である。
と指摘している。

たしかに私なども見たいニュースがあるときにはニュースの時間を待つのではなくネットで調べるということが習慣になってきており、その一方テレビ報道には速報性ではないものを期待しているところがあるかもしれない。報道に限らずテレビはデジタル化などを契機にして、テレビでなければできないことを模索しているのかもしれない。

さて、そのような目で見てみると、確かに現在のテレビは数十分のボクシング中継の前に延々とボクサーの生涯などを流してみたり、同じシーンを何度も繰り返したりなど、そのどぎつい表現はエスカレートを極めている。冒頭で挙げたいじめ自殺報道なども、ただいわゆるワイドショー的にしゃべっていてもインパクトがないということで、より強烈な演出が要求されているのかもしれない。
しかしそのようにして感情を全面にだすことによって、要求される論理性が後景においやられたのではまさに"劇場政治"の思うつぼであり、たまらないなあ、と思う。

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憲法9条の逆襲!

434499037401_aa240_sclzzzzzzz_v60183210__1 辻内圭氏の『憲法9条の逆襲!』を読んだ。
私の家の近くの書店"住吉書店"はかなり右翼的に偏っていて気分が悪いのだが、それでもこの本は売れているからなのか、あるいは著者が横浜出身だからなのか、ピックアップコーナに置いてある。何気なく題名に惹かれてめくってみると、1977年の米軍機墜落事故のこと、沖縄戦での日本軍の行動など、興味のあるテーマが挙げられていたので思わず購入してしまった。
読み終わってみると、著者のいうことに同意できない点も多々あるのだが、もともといろいろな人に取材して書いているので、その人たちに語らせているところが多く、多面的でおもしろい。目次は次のようになっている。
第1章 軍は民を守るものか
第2章 戦争に懲りた時代の賜物
第3章 普通の国になる意味
第4章 自衛官は何を思う
第5章 『映画 日本国憲法』のユンカーマン監督と語る
第6章 改憲論者と語り合う
第7章 「憲法9条にノーベル平和賞を!」という発想
第8章 人に殺人を命じるなんて、そんな馬鹿げた話はない
特に私としては第1章と第5章がおもしろかった。
第1章では冒頭で書いた米軍機墜落事故のこと、沖縄戦のことなどが書かれている。
著者はここで軍隊というものが宿命的に"民を守らない"ものだと考えているのだが、私はこの2つのできごとは日本の軍隊、自衛隊の特異性を表していると考えてきた。侵略のための軍隊だからこそ沖縄の民を守らず、逆に殺すようなことをし、米軍を守るためにつくられた自衛隊だからこそ、米軍機が落ちたときに住民をそっちのけにして米軍パイロットを救出したのだ、と。どうもこの本は編集者のシナリオに沿って書かれているふうで、著者の考えに共感はきなかった。それでもなぜおもしろかったかというと、私が長年考えていた、「沖縄はなぜ(独立でなく)日本に復帰する運動をしたのか」ということ、戦後間もないときにどのように民衆は憲法を歓迎したのか、ということについてのヒントが得られたからだ。
沖縄のことについては元沖縄県知事の太田昌秀氏に取材している。著者は太田氏に「いま平和憲法の精神を捨てようとしている現状をみて、我が国に帰ったことを後悔してはいないだろうか?」という問いを発している。そして「戦後沖縄の人たちが日本復帰に向けて掲げたスローガンは「平和憲法のもとへの復帰」というものだった。それは「人間らしく生きるためには自由と平等を手に入れなければならない」という、ごく自然な願いだからだった」と解説している。太田氏は発行したばかりの日本国憲法の写しを見せてもらい、
「その前文と第九条を読んだとき、私は、体が震え、心底から熱いものがこみ上げるのを感じずにはおれなかった。そこには二度と『戦争はしない』『軍隊は持たない』とあるではないか。『これだ』と私は、コピーをわし掴みにして大声でさけんだものだ。鬱屈していた気持ちが一瞬にして晴れやかになるのを覚えた。私は、無我夢中になって新憲法の前文や主要な項目を鉛筆で書き写した」
という。これは太田氏の著書『沖縄差別と平和憲法-日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ』(BOC出版)を引用したものである。ここには私の問題意識への1つの回答が説得力を持って示されていた。
また、第5章ではユンカーマン監督の映画『日本国憲法』を見終わった人の感想が引用されている。
テロや戦争が繰り返されるこの時代に、日本国憲法を変えていこう、9条をなくしてしまおうという強い流れがあることを、多くの人が悲しんでいる
これらを読んで私は、日本国民が、また沖縄の人たちが、憲法との出会いによって大きなものを得たこと、それが今もまた生き続けていることを感じたのだ。
今一度、私も、日本国憲法を、再度受けとめたいと考えたのだった。

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高尾山ウオッチングに行ってきました

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地権者の会・むさゝび党/高尾山自然保護ネットワーク主催の高尾山ウオッチングに行ってきた。

Takao4_1 高尾山には圏央道(首都圏中央連絡自動車道)のトンネルを掘り、裏高尾の狭い谷間に巨大なジャンクション(連絡路)を建設する計画があり、高尾山の貴重な自然と文化財、そして周辺の生活環境を破壊するおそれがあるとして、地元の住民をはじめとした広範な人たちによっていくつかの訴訟が起こされている。高尾山の自然、この計画への反対運動などについては高尾山の自然をまもる市民の会高尾通信に詳しい。

私の高尾山での最初の感動は10年以上前に正月登山をしたときだった。京王線高尾山口からは徒歩のほかケーブルカーとリフトで山頂の手前まで行くことができ、そこから40分ほど歩くと山頂に着く。はじめの登山では徒歩で山頂まで行き、初日の出を見てからリフトで降りたのだが、そのときリフトから見た正月の都内の展望は最高だった。ある決意をもっての登山だったこともあり、ゆったりとした多摩川の蛇行、1千万人の人々の新年の息づかいが感じられるような早朝の明かりの群れは本当に感動的だった。後にみた宮崎駿のアニメ「耳をすませば」にも同じような情景があるが、これは高尾山からの眺めではないかと思ったものである。
それ以来、何度か高尾山には登っている。

さて、今日は圏央道のトンネルとジャンクションが作られると水の面でどのような問題が生ずるかを学習、体験する企画だった。このなかで案内をしてくださった方が話された言葉のなかで感動したものをつなぎ合わせてみる。
高尾山の周辺には狭い地域に1300種以上の生物が生息し、それは地球上でも例がないほどである。世界遺産に匹敵すると言っても良い。その豊かな自然は歴史的に権力者がこの森林を保護してきたという背景もあり、"しっとりした山"を保っていることによる。山は岩でできていると思われるかもしれないが、実際は水の固まりといっても良い。高尾山がわき水から川に排出している水の量は400~700t/日と推定されている。

Takao2 はじめに工事が進んだ八王子城跡ではトンネルが掘られた影響で地下水位が35mも低下した。これは複雑な岩盤によって保たれている地下水脈が、トンネルによって人為的にぶち切られてしまったことによる。水脈があるところに固い岩盤があると滝ができる。八王子城跡の御主殿の滝で工事後滝涸れが起こったのは山全体の水の様子を表している。現在八王子城跡で起こっている落盤は岩盤が乾燥したために起こっていると思われる。まだトンネルが掘られていない高尾山とすでに掘られた八王子城跡をあるいて感じられる"しっとり感"の違いはまさにトンネルが山を乾燥させていることを示している。

高尾山でもトンネルがほられれば同様なことを起こる。高尾山の豊かな自然は壊され、荒れた山になってしまう。

山に登ったら、地面の黒いところとそうでないところを観察すると良い。黒いところには水脈がある。山道の脇の岩盤をさわってみると良い。しっとりした山では水分がしみ出しているのがわかる。
Takao3 現在国土交通省はトンネル掘削のために滝涸れが起こっていることを隠すために観測点を廃止しようとしているということ。裁判は一進一退だが、なんとかこのかけがえのない自然を残すためにこれらのことを多くの人に知らせ、高尾山を守る運動をより大きく広げたい。

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御用(誤用)言語学者の造語解題②

構造改革
一時的なものでない、表面的なものでない何か-「構造」と表現される何か-に問題があると感じている人々を「構造改革」という言葉を使うことによって取り込むことが可能になる(山家悠紀夫『「構造改革」という幻想』)。

双務的同盟
米軍再編によって集団的自衛権行使が日本に待ったなしに迫られている。
 「本来は対等な関係をめざしたはずの安全保障協力の強化」が、「逆に従属性の強化をもたらすことになって」いる(高原明生「アジアから見た日中関係」 朝日新聞からの孫引き)とすれば「双務的」とははぐらかしそのもの。

双方向性(テレビの)
実態を表さないネット投票をタテに意図された「世論」が作り出されるなら、それはマスコミを支配する権力の強化であり「単方向」に束ねることになる。

右翼団体
右翼的な言動をすると得する人によって与えられたお仕事をする人たち。
いつか自称アナーキストの友人から、
 「彼らはお仕事をしているんだよ」
と教えられて、そうはっきりさせると達観できることがわかった。自民党の加藤元幹事長の自宅の放火事件で警察が"動機を取調中"と言っていたが、それより"誰から金をもらったのか"を調べた方がいい。

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