« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

沖縄戦での集団自決軍強制 検定意見は撤回すべき

文部科学省は、教科書会社六社から出ていた訂正申請を承認したが、「軍の強制」を削除させた検定意見に固執し、撤回しなかった。
渡海文科相は沖縄での県民大会の直後、「訂正申請があれば真摯(しんし)に対応する」と表明。11月に各社から申請が出されたことを受けて、文科省の諮問機関、教科用図書検定調査審議会(検定審)に検討を要請。検定審日本史小委員会は25日に訂正申請を承認する報告をまとめた(12/27朝日記事を整理)。
(報告要旨)
集団自決に関しては従来、日本軍の隊長が住民に自決命令を下したことが通説として扱われてきた。近年研究者の著書等で隊長命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出ており、これを否定する著書が見られないことから、軍命令の有無が明らかでないという見解が定着しつつあると判断された。
すべての集団自決が軍の命令で行われたと誤解される恐れがある記述について検定意見を付することとした。軍の命令の有無について断定的な記述を避けるのが適当だと判断したもので、集団自決に関する軍の関与に言及した記述を否定する趣旨ではない。
訂正申請の正確性や妥当性を判断するため、専門家の意見もふまえ小委員会としての基本的とらえ方を整理した。
(1)集団自決が起きた状況をつくった要因として、軍の関与は主要なもの
(2)軍命令で行われたことを示す根拠は確認できていない
(3)住民側から見れば、自決せざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる
発行者には、訂正記述の趣旨の確認を求め、資料の提出を随時求めた。また、記述の趣旨の確認、疑義がある点について説明を求めた。この過程で、5社7冊について申請の取り下げがあり、訂正文の理由の修正を行った上で、再度申請された。
小委員会はこれらを審議し、いずれも承認すべきだとの意見案をとりまとめた。
沖縄での県民大会を受けて問題が起こったかのような雰囲気があり、教科書の内容に政治が介入することがどうなのか、と言われているが、この問題はの発端は、あくまでも今年の教科書検定において突然、沖縄戦での集団自決で軍の強制があったという記述に検定意見が付いたことにある。であるからなぜ定説を覆して検定意見が付いたのかということがもっと問題になっていいはずなのだ。そのことに配慮してか、報告書ではこの経緯を説明している。しかしここでは「軍の強制」があったかどうかということを「隊長の命令」の有無に矮小化しているように思われる。またここでの研究者の著書等が大江健三郎の「沖縄ノート」をめぐる名誉毀損裁判関連のことなどを指しているとすれば、この裁判は継続中であり、軍命令の有無が明らかでないという見解が定着しつつあるという判断すらも無理があると言うべきだ。
当初文科相は検定の過程では審議会にはかったので客観的なものだと言っていたが、実際には文科省の調査官が案を作成し、沖縄戦の専門家もいない審議会に形だけはかったということが国会審議でも明らかになった(私の別サイトで書いたが、案を作成した調査官が「新しい教科書をつくる会」などの”靖国派”だったこともわかり、今年突然検定意見がついたのが彼らの運動に沿ったものということも言われている)。そこで文科省もまともな審議をしていることを示さざるをえなくなり、今回の報告書では9人の専門家に意見を聞き、その内容も公開された(以下朝日新聞から。強調は引用者)。
  • 大城将保氏(沖縄県氏編集委員=沖縄戦研究) 「戦闘能力のないものは捕虜になる前に自決(玉砕)せよ」という方針は全軍的な作戦方針に基づく。避難民は、手榴弾や爆薬が支給された時点で「軍の自決命令」と受け止めるように心の準備がされていた。沖縄戦をまともに調査・研究している研究者やジャーナリストで「命令・強制・誘導等の軍の関与はなかった」と断言できるものは私の知る限り一人もいない。

  • 我部政男氏(山梨学院大教授=日本近代史) 明確なことは、「集団自決の起こった歴史的な事実の背景に「軍官民一体化」論理が存在していたこと。戦時におけるこの国民意識の存在の意義から「集団自決」の発生を考えることが、ごく自然なように思われる。「軍命令」は「軍官民一体化」論理の範疇に入るものだと考える。

  • 高良倉吉氏(琉球大教授=琉球史) 背景として重視すべき点の一つは、目前の住民=国民の生死よりも作戦遂行を至上とした日本軍側の論理だ。日本軍側の論理や特質を抜きに「集団自決」事件を説明することは不可能であり、そのことを特筆としつつ歴史としての沖縄戦を提示することが求められている。

  • 秦郁彦氏(現代史家=日本近現代史) 命令は発令、受令者名、日付、番号を記した文書によるのが原則であり、正規の戦隊長命令が出ることはあり得ない。軍命説が成り立たぬ理由としては、自決の「強制」は物理的に不可能に近いこと、自決者は全島民の3割に及ばず多数が生きのびたこと、攻撃用手榴弾の交付は集団自決との因果関係はないことなどがある。

  • 林博史(関東学院大教授=日本近現代史)米軍に捕らえられると残酷な扱いを受けて殺されるという恐怖心の扇動、多くの将兵が予め手榴弾を配って自決せよと言い渡していたことなど、軍は様々な方法で「集団自決」を強制していった。部隊長が直接命令したかどうかという論点から強制と誘導を否定することはできない。

  • 原剛氏(防衛研究所戦史部客員研究員=軍事史) 渡嘉敷、座間味の集団自決は軍の強制と誘導によるとは言えない。「捕らえられて殺害されるか辱めを受けるよりも死を選ぶ」風潮が強かったこと、「捕虜になるのは恥ずかしいこと」という観念があったことが原因と考える。ただし、このような事態に追い込まれたのは、政治・教育・社会風潮・戦争などから醸し出されたものだといえよう。

  • 外間守善氏(沖縄学研究所所長=沖縄史) ①日本本土の一億日本人のため沖縄島は防波堤として使われた。②軍の存在は住民にとって脅威で、軍隊という組織と秩序は沖縄島を守り住民を守るためと理解されていたが、戦闘に入った瞬間、島民は逃げ場を失って右往左往した。集団自決の問題も①②の問題に通底している。

  • 山室建徳氏(帝京大講師=日本近現代史) 前後の状況を見ずに、一部の日本軍が住民に自決を強要したとだけ記述するのは、それが事実だったとしても、適切な歴史叙述とは言い難い。少なくとも日本軍将兵の「集団自決」や特別攻撃も合わせて記述すべきだろう。ともに、日本人の戦死観を考える上で、欠くことのできない要因だからだ。

  • 匿名希望の軍事史家(要旨を文科省が発表) 沖縄戦は、日本国土が戦場となった希有の例であり、住民が戦闘に巻き込まれた。集団自決の起こった原因・背景としては、敵から逃げることができず、投降すべきではないという集団心理が働き、軍人に要求される規範が住民に心理的強制として作用したことがある。
さすがに専門家の発言なので勉強になる。文科相が選んだ専門家なので、おそらく”かたよりなく”選択されているのだろう。秦氏は典型的に軍命に矮小化しているように感じられる。それにしても島民の3割近くが自決したとは大変なことだと教えられた。人によってニュアンスは異なるものの、支配的なのは軍の強制を肯定している考え方のように思える。とりわけ、多くの専門家が”軍の強制”をどうとらえるかということで意見を述べているのが注目される。審議会がこれらの意見から、3つの「基本的考え方」にまとめているはずなのだが、隊長命令と強制とを使い分けることで無理矢理”検定意見は撤回しない”という結論に持っていっている観が免れない。せっかく専門家の意見を聞いたのだから、軍の強制をどうとらえるかについても専門家の意見に従えばよいのだ。
文科省の審議の枠組みから考えても、沖縄戦集団自決への軍強制の記述に今年いきなり検定意見がついたことは説明できず、検定意見は撤回すべきで、当初の執筆者の記述の復活こそ行われるべきだ。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

「9.11の謎」と「陰謀論の罠」

911_2 Photo_2 鳴澤宗男氏の「9.11の謎」と奥菜秀次氏の「陰謀論の罠」を読んだ。
9.11陰謀説は以前からあったが、なぜ読もうかと思ったかというと、私の周りで9.11陰謀説を信じたり影響を受けている人が多いことに気づいたからだ。それも平和運動や労働組合などをやっている人たちなので、なぜそんなことになっているのだろう、と不思議に思っていた。ネットなどで調べてみるとイラク戦争反対の運動で名前は知っていたきくちゆみさんなどが陰謀説を広める運動をしていることがわかった。そんなときに「陰謀論の罠」という本がでていることを知り、どうせならと「9.11の謎」のほうも読んでみようと思ったのだ。フルフォードという人が別に「暴かれた9.11疑惑の真相」というのを書いているようだが、薄い方の本を選んだのは、あまり長い時間関わりたくないと思ったからだ。実際今日も「陰謀論」に関するブログを読んでいるといつの間にか何時間も経っていた。こんな事にそんなに関わっていられるか!というのが実際、私が最後に達した結論でもある。

さて、9.11陰謀説というのは2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロ事件がアメリカの自作自演であるとするもので、そのほかに自作自演とまでは言えないがアメリカがわかっていて防ごうとしなかったというのもあるようだ。「9.11の謎」を読むと、世界貿易センター(WTC)ビルが航空機の突入を受けて崩壊してゆく様子が、航空機の衝突による衝撃では説明できないこと、当時ビルにいた人が航空機に突入前に下の方からの爆発音を聞いていたという証言があることなど、ペンタゴンやペンシルバニア州の村に落ちた航空機についても当局が説明していることには矛盾が多いことなどが例証されている。一方「陰謀論の罠」はこちらのほうが後に書かれたこともあり、それらについて、崩壊するビルは航空機の追突によるものとして説明できる、爆発音の証言はあとから否定されているなど、基本的に反論されている。それらすべてを紹介、評価することはできないが、両者を呼んでいくつか感じたことを挙げてみる。
  • 陰謀説の最も印象的なのは、航空機の衝突とジェット燃料の発火による建物のへのダメージは全壊に至らせるには不十分だ、という議論だろう。「陰謀論の罠」ではこれが可能だという。この議論について両者を読んでもどちらのほうが正しいとは判断できない。しかしDVD映像を見せてきくちゆみさんなどがこのことを説明するとかなり説得力をもってしまっているようだ(聞いた人の感想)。重要なのは反論もあるという事実を知っていることだろう。
  • ビルにつっこんだのはボーイングではない、などの映像を用いての陰謀説は、「陰謀論の罠」によりかなり反論されてしまっているようだ。
  • WTC7ビルは航空機の衝突なしに崩壊した。このことは陰謀説で爆破された証拠だと強調されている。これについても「陰謀論の罠」は反論しているのだが、私にはいまいち弱いような気がする。
  • そのほかのいろいろな議論についてもはっきり言って、あった、ない。言った、言わない、の話になってしまう。これらのそれぞれについて、自分で判断するための材料を集めるのはごめんこうむりたい。
それでは9.11陰謀説については私のような者には判断不能という事になるのか?そうは思わない。自然界の「超常現象」について、私が培ってきた自然観に基づいて”超自然的な力がはたらいた”などの見方に対して「そんなことはない」と言いうるように、社会事象についても私の考えを持つことができる。 それでは”状況証拠”を考えてみよう。

アメリカは9.11テロを自作自演で行う動機があるか。それはあると言うべきだろう。9.11後の世界は大きく変わった。アメリカは国連の合意も取り付けてアフガン戦争を起こし、イラクにも自分の気に入る政権を作ろうと戦争を仕掛けた。イラク戦争の始めるときの強引さを振り返れば、いかにアメリカが中東に軍事的影響力を広げたかったかが理解できる。中東に戦争を開始するために9.11テロを自作自演するという動機はなくはない。

それでは「9.11陰謀論」をねつ造する動機はあるか。これについて奥菜氏は「9.11テロの背後にいたのがアラブ系テロリストであり、その後政治潮流が反アラブ=親イスラエル」と流れたことで、元ホロコースト否定論者らたちが怒ったことは容易に想像できるだろう」と言っているが、こちらも一理あると言える。

次にアメリカが9.11テロを自作自演することはあり得ることかを考えてみる。
そのためにはアメリカはどのような国かを考えてみなければならない。
奥菜氏は「陰謀論の罠」の後半で世の中の陰謀論について論じている。このなかでベトナム戦争でのトンキン湾事件について、「アメリカの意図せざるでっち上げ」だったとし、アメリカの情報活動の無能力さを論じている。はたして「意図せざる」だったのか、情報機関はそんな無能力なのかと疑問を持ったが、アメリカはたとえばチリにおいても選挙ではじめて社会主義政権が誕生したとき軍隊を派遣し、クーデターを側面から支えたことがあった。アフガニスタンではソ連に対抗するためにビンラディンを支援したし、イランとの対抗上イラクを支援していたこともある。太平洋戦争末期に日本に落とした原爆にしても、ソ連の参戦期日を前にして、原爆投下によって日本が降伏したという形を作り、戦後対ソの力関係で優位に立ちたかったという有力な説もある(西島有厚「原爆はなぜとうかされたか」など)。ようするに、現代のアメリカが、自分の国(の支配層)の利益のためにテロリストを支援したり、他国に多くの犠牲を強いたりということを起こしうる国であることは間違いない。
それでは中東で戦争を起こすために、WTCを爆破することも辞さない国だろうか。私はそうは思わない
WTCでは3000人もの自国民を主としたエリート社員が犠牲になったが、そのような犠牲を生む仕掛けを作る必然性があったとは思えない。自作自演がばれることがあれば、政府がつぶれるくらいではすまないというのが、現代アメリカという国の民主主義の到達点でもある。とはいっても、それだけの必要性があり、仕掛けを作って失敗せずに実行することが可能であれば、全くあり得ないとは言えないだろう。
ここで、このことと関係するもう一つの要因は、陰謀論が書いているようなビルを爆破するための仕掛けの困難さである。奥菜氏は制御解体会社の社長の証言として「WTCビルを破壊するなら、・・・75人編成のチームで2ヶ月間自由にビルに出入り」する必要があるということを挙げているが、ビル破壊に限らず、このような大規模な仕掛けをつくり、失敗無しに実行することが可能とは思えない。
だいたいこのような理由で、私は9.11陰謀説を非常に可能性の低いことと考えている。
ただし、奥菜氏の陰謀論全般を否定する考え方など、同意できない点も多かった。

ここでもう一つ言いたいことは、平和運動などでこのような説がまかり通ることの否定的な面についてだ。
アメリカもイラクでは戦争を起こしたが、東アジアでは北朝鮮との外交交渉によって核拡散を防止しようとしている。平和運動においては世論で戦争勢力を包囲していくことが基本であるはずだ。そこには戦争勢力は世論で包囲しうるという思想がある。イラク戦争反対の世界的な運動はアメリカの戦争を思いとどまらせるまでもう一歩のところまでいっていた。そういうときに”アメリカは戦争を起こすためには自作自演テロで自国民を犠牲にすることも平気だ”という考えは、運動にも否定的な影響を与えるような気がしてならない。

| | コメント (5) | トラックバック (3)

ジョンレノンの命日に官僚・政治家の想像力を考える

12/8日は日本が太平洋戦争を開始した日であり、ジョンレノンの命日でもある。
先日テレビにオノ・ヨーコさんが出演し、ベトナム戦争当時に世界の多くの都市の目立つところにWAR IS OVERという文字を広告として大きく掲示し、戦争反対をアピールした話などが紹介されていた。
Happy Xmas(War is over, if you want it)という歌はクリスマスが近づいていろいろなところで流れてもいる。「戦争は終わった。あなたがそう望むなら」というのは観念的なようだが、戦争がつづく現実に埋没してしまっている人びとへの批判になっている。
この歌が流れるとイラク戦争反対のパレードのなかで演奏しようと考えて必死になって楽譜を書き、結局実現できなかったときのことを思い出す。でもイマジンは演奏した。
イマジンの歌詞は有名だが、知らない人のために日本語訳を。
想像してごらん 天国なんて存在しないと
想像しようとすれば簡単だよ
僕達の下に地獄なんて無いんだ
ふり仰げば空があるだけさ
想像してごらんすべての人々が
現在を生きているんだと…

想像してごらん 国境なんて存在しないと
そう思うのは難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう

想像してごらん 所有なんて存在しないと
君にもそういう考えができるかしら
貧困になったり飢えたりする必要はない
兄弟同志なのだから
想像してごらん すべての人々が
この世界を分かち合っているのだと…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも 僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば、この世界はひとつになって動くだろう
最近官僚や政治家にも想像力が重要だと思うことが多い。
障害者自立支援法にサービスを利用するほど重い自己負担を強いる応益負担の仕組みが導入された。しんぶん赤旗の12/6日付けに障害者団体などの応益負担撤廃を要求する集会の記事があり、
自立支援法が逆に障害者の自立を阻害していることは、「(同法施行後)施設から退所した障害者が2006人。利用抑制など含め4658人に何らかの影響が出ているとする国の調査からも明らかだ」、「目の見えない私たちが移動するにはガイドさんが一番安心です。でも、この移動支援を利用すれば1時間歩くのに、自己負担が285円。健常者は歩いてお金取られますか。歩くだけでお金を取られるのは納得できない。
と参加者の声を紹介している。この障害者の根源的な要求の意味を厚労省の役人や自民・公明政権の政治家はよく考えてみてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

噴出する矛盾の根底に「構造改革」路線

11/29日は購読している二紙で論壇時評が掲載されていた。論壇時評は月刊誌などの論調を紹介してくれるので、そんなに多くを読めない私などにとっては便利なものだ。
朝日では杉田敦氏が専門職批判という視点からいくつか紹介している。そのなかで、元経済官僚の加藤創太氏が「行政府のリーダーである大臣が、メディアで公然と自分の直属の部下であるはずの官僚たちを罵倒に近い形で批判する」ことの異常さを指摘していることに注目。たしかに、舛添厚労相の発言などは役人を敵に回し、厚労省の責任者であるはずの大臣を国民の側に持ってきて対立の構図を作り上げている気がするし、社会保険庁の官僚・労働者にボーナスの自主的に返納させる風潮などは筋が違うのではないかと私も思う。一方
加藤によれば、いわゆる政治主導路線は、小渕内閣時の石原伸晃ら「政策新人類」登場に始まるが、それら若手政治家たちには、外資系金融機関が「専属の担当者を常時貼り付けていた」。政治主導とは市場主導であり、民営化とは私有化ではないかとの疑念につながる指摘であろう。
と紹介しているが、まさに構造改革の本質が見え隠れする。
次に注目するのはいわゆる「クレーマー」患者、「クレーマ」親問題だ。この問題など、本屋で積まれている「クレーマ」問題をのぞいたりしていると、単に批判ばかりするおばさん(失礼)にどう対処するかみたいなことだろうととらえていたら、ここにも政治の思惑があるらしきことがわかってくる。杉田は
政治家や政府が、「民意」を後ろ盾に中心的な役割を果たしている。教師は「サービス労働者」としての「消費者」の要求に従えという市場主義的な発想と、教師は公務員として政府の方針に従えという国家主義的な議論とが、教育改革論として連動している面がある。
と指摘する。
この問題でさらにつっこんでいるのがしんぶん赤旗の論壇時評だ。
朝日と同様「クレーマ」問題を特集している『中央公論』から小野田正利氏の「追いつめる親、追いつめられる学校」をとりあげている。小野田氏は学校が保護者や近隣住民から苦情を受け、それが教職員のストレスを増大させている事態の背景に「教育改革」によって学校、教職員が過度に痛めつけられていることとともに、
バウチャー制度や学校選択制の導入で学校教育を「商品」と扱い、保護者と教師を「顧客とサービス提供者」とみなす風潮が助長され、子どものために対等の立場で協力しあうという、保護者と教師の本来の関係が壊されたと「構造改革」を批判
していることを紹介する(強調は引用者)。
また、『論座』の本田由紀・高橋睦子「崖っぷちの教育界を救うために今、私たちができること」という対談を取り上げ、
政府やメディアが、教職員に「ダメ教師」などのレッテルを張る一方、学校に抗議の声をあげる保護者を「モンスターペアレント」と攻撃するなど、「教員と保護者の対立があおられている」現状に疑問を呈し、その「対立」は外部から持ち込まれた感じがすると指摘します。
と紹介、
「権力にしても資本にしても、一般の人びとが個々ばらばらのほうが扱いやすい」「それに人びとが乗ってしまうことは、本当に自分で自分の首を絞めることになると思う」という本田氏の言葉は「構造改革」推進勢力の手法を的確についています。
と指摘する。 論壇時評の評者、谷本諭氏は結びで
各分野で噴出する矛盾の根底に、「構造改革」があることを指摘する論考が目立っています。また国民の中に「対立」をつくりだすことは「構造改革」の「常とう手段」・・・ですが、そうした「分断」を乗りこえ、新たな「連帯」を模索する議論が登場し始めたことは、注目に値する(強調は引用者)
と締めくくっているが、溜飲が下がる思いがした。
(それにしても論壇時評をブログで紹介するというのは二重に引用することになってしまい、うまくない。)

この日の朝日新聞ではこのほか、『私の視点』というページで生活保護と派遣労働が取り上げられていた。
NPO法人もやい代表理事の稲葉剛氏は、厚生労働省が生活保護費見直しに入ったことに関し、受給資格を満たす多くの人が地方自治体の窓口で追い返されている現実をふまえ、
水際で受給者を絞り込んで貧困生活を強要し、その水準が低いからと今度は生活保護の水準を下げるというのでは、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」からは遠ざかる一方だ。
と指摘するがまったくその通りだ。
派遣社員の吉村宗夫氏は、生鮮食品加工センターで働いているが、日々10人ほどが日雇い派遣労働者だという。そして問題なのはこうした日雇い派遣労働者に対して、食品加工に携わるために必要な衛生管理が、派遣先できちんとできていないことだ、と指摘する。食品に触れる仕事に従事する人は、検便や健康診断などを定期的に受けることが義務づけられているが、日雇い派遣労働者はこの対象からはずれているというのだ。吉村氏は、
食の安全は、食品を扱う労働者が健康体であるというのが基本である。こうした理由から、食品の安全性が担保されない可能性がある限り、食品加工業者が日雇い派遣労働者を受け入れることを法律で禁止すべきだと考える。
と結んでいる。食品加工業に限らず、少なからぬ職場でこのような問題は生じているのではないだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

サブプライムローン問題

サブプライムローン問題が世界経済、国内経済に大きな影響を与えている。しかしこの問題経済問題をよく読んでいる人でないとなかなかわかりにくい。私なども新聞の解説記事を読んでもなかなか理解できない。私の購読している「しんぶん赤旗」の11/27付けにわかりやすい解説がのっていたので転載する。
 てぇへんだ。
ご隠居 どうしたい。
 なんか、証券会社とか銀行が、大損してるんだってよ。アメリカの何とかローンで。
ご隠居 それをいうなら、サブプライムローン。
 なんだ、それは。
ご隠居 ローンはわかるよな。
 住宅ローンなんかのあれか。
ご隠居 そう。プライムというのは、優遇という意味だ。
 サブってなんだ。サブマリンってのは、たしか潜水艦のことだよな。潜るっていう意味か。
ご隠居 近い。サブというのは、低いとか下位という意味もある。
 するってぇと、優遇が低い、つまり優遇しないローンってことか。
ご隠居 高金利ということだな。
 サラ金みたいなものか。
ご隠居 返済がこげつく恐れのある信用力の低い人向けの、金利が高い住宅融資ということになる。

「毒入り」に投資
 アメリカの話だろ。それが、何で、日本の証券会社とか、銀行に関係があるんだ。
ご隠居 そこだ。
 どこだ。
ご隠居 アメリカの住宅ローン会社は、サブプライムローンを証券化して、売っている。危険を分散するためだ。この業務を引き受けているアメリカの大手金融機関は、ほかの証券と組み合わせて売る。「毒入り」とかいわれながらも、利回りがいいから投資対象になる。
 日本の証券会社や銀行も、その「毒入り」に手を出していたということか。
ご隠居 そういうことだ。金融庁の発表によると、国内の銀行と信用金庫、信用組合が保有する米サブプライム住宅ローン関連の証券化商品は、総額約一兆三千億円(9月末時点)だという。うち、銀行が9月中間期決算で計上した評価損は約千二百億円だ。
 それだけですむのかい。
ご隠居 まだまだふくらみそうだ。アメリカでのサブプライムローンの発行額は1.5兆ドル(約160兆円)程度。このうち、7,8割が証券化され、関連商品の発行額はさらに多いと見られている。
 どの商品に「毒」が入っているかわからないということか。
ご隠居 経済協力開発機構(OECD)はサブプライムローン危機による損失総額が、最大三千億ドル(約33兆円)に達する可能性があると報告している。「まだわれわれは最悪期には至っていない」と警告している。

銀行がばくちを
 何で、そんなに危険な商品が出回るんだ。
ご隠居 まったくだ。アメリカの住宅が値上がりし続けないと成り立たない。「住宅バブル」がしぼみはじめるや、矛盾が噴き出している。問題は、米欧はじめ大手金融機関が深く関与していること。むしろ「主役」を演じているということだ。
 大損したというニュースが流れてはじめて実態がわかるということか。
ご隠居 「カジノ資本主義」とかいわれるが、1998年にアメリカの大手ヘッジファンド(国際的投機グループ)が破たんして大騒ぎになったときも、米欧の巨大銀行、証券会社がこのファンドに投融資していたことが、明るみに出た。
 やっぱり「主役」だったてぇわけか。
ご隠居 国民の大切な財産を預かる銀行がばくちに手を出してはいけない。アメリカの29年恐慌いらいの教訓が、生かされていない。教訓に逆行する規制緩和ばかりが横行するのは嘆かわしい。被害を受けるのは、いつも庶民だ。
(強調は引用者)
日本の国家予算の支出約80兆円くらいなので、約160兆円の発行額というのはものすごい額だということがわかる。「アメリカの住宅が値上がりし続けないと成り立たない」に関してwikipediaで補足しておけば、「住宅価格が上がっている場合には、債務者は住宅価格の値上がり分について、担保余力が拡大することから、その部分を担保に、新たな追加借入を受けることができた」ということになる。日本の国家予算の支出の倍にもなる証券がアメリカの住宅バブルに依存しているとは異常な事態だ。最近の石油の値上がりも投機によるものだといわれている。「金融ビッグバン」を主導した人たちはこの事態をどう考えるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »